優駿エッセイ賞2019に応募するもボツった作品『神事馬』の草稿

神 事 馬  Shinji no Uma

 「爺ちゃんが多度へ来たいって言ったんだよ。何してんのよ。しっかりしてよ。」

桑名市内にある病院の一室で
静かに横たわる爺ちゃんを見ながら私は心の中でそう呟いた。

多度大社の上げ馬神事は明後日には行われてしまう。

遥々ここまでやって来たはいいが、この状態ではそれまで保つかどうかすらわからない。



鉄道マンだった爺ちゃんは長年に渡り不規則な生活を余儀無くされ、
同世代の方と比べると身体が随分と弱っていた。

おまけに酒も大好きで毎日呷るように呑んでは私や両親を困らせている。

自宅にある二畳半程のこじんまりした部屋から滅多に出てこない、
いわゆるアル中の引きこもり老人なのだ。

数年前から爺ちゃんの酒の飲み方はさらに酷くなり入退院を繰り返すまでになった。

それにも関わらず入院してもマットレスの隙間には小さな酒瓶が隠してあり、
看護婦の目を盗み取り出してはこっそりと口へ注ぐ。

命を危険に晒してまでも酒を呑み続けているのである。


語りこそしないが原因はきっと婆ちゃんだ。

寡黙な爺ちゃんとは違い、婆ちゃんは自由奔放な性格で
暇を見つけてはどこかへ旅に出ていた。

音信不通状態が数ヶ月以上続くのは当たり前のことで、
婆ちゃんがどこで何をしていようが家族は誰一人として気にも留めなかった。


というよりはむしろ厄介者の婆ちゃんとあまり関わりあいたくなかったんだろう。

両親の話だと婆ちゃんは借金をしてまで競馬に手を出したらしい。
しかもかなりの額である。

ギャンブルを毛嫌いしているかあちゃんは婆ちゃんと大揉めに揉めた。

揚げ句、自宅にいても居心地が悪いだけの婆ちゃんが出て行くことになったのである。

どうせ全国の競馬場を転々としているんだろうと私たち家族は軽く考えていた。


そう数年前の大雪の日、北海道警察より連絡が入るまでは。

婆ちゃんはアイスバーンの雪道を猛スピードで走行中に
スリップした対向車を避けられず激突。

見るも無残な姿で数年ぶりに無言の帰宅をしたのである。

婆ちゃんは突然この世から去ってしまったのだ。


それ以来、爺じゃんは二畳半の部屋にこもりきり
酒が手放せなくなった。

一体婆ちゃんは真冬の北海道で何をしていたんだろう。
何をそんなに急いでいたんだろう。

私は少し疑問を抱いたが
両親も爺ちゃんも誰一人として多くを語ろうとはしなかった。



それから数年が経ち
自宅近くの桜が満開を迎える頃、

久しぶりに家族で花見にでも行こうかと話をしていた。

車椅子生活をしている爺ちゃんを連れて遠出はできない。
せめて近所にある河川敷で花見でもしようというのだ。

その時だった。
万年酔っ払いの爺ちゃんがボソッと呟いた。

 「多度大社へ行きたい。上げ馬神事を見にゃいかんのだ!」

突拍子もなく出て来た言葉に私たち家族は唖然としてしまった。


多度がどこにあって上げ馬神事がなんであるか見当もつかない。
桜とどう関係するというのだ。

ついにボケてしまったのか?

酔っ払っているので話が噛み合わないことは多々ある。
しかし今回に限っては頑な過ぎて言うことを聞きそうにもない。

仕方がないので私は手元のスマホで
多度大社と上げ馬神事について調べることにした。


多度大社は三重県桑名市にあり

『北のお伊勢さん』

として昔から親しまれている神社で、
上げ馬神事は毎年五月四日と五日に行われているらしい。


どう考えても桜とは無縁である。

足腰がかなり弱っており歩くこともままならない爺ちゃんが、
縁もゆかりもない桑名へどうやって行くというのだ。


その日は、誰一人として一歩も譲らない言い争いが夜遅くまで続いた。
最終的には爺ちゃんが拗ねて二畳半の部屋にこもってしまい話は有耶無耶となった。


爺ちゃんは明け方近くまで酒を呷っていた。
独りではなく、まるで誰かと語り合っているような姿に後ろ髪を引かれる思いだった。



そんな爺ちゃんの希望を叶えてやろうと私は動いた。
なにせ時間は十分にある。

過酷な勤務に堪え兼ね半ば逃げ出すように会社を辞めてからは、
目標を失ってしまい実家に居候状態。

家族にとっては私も婆ちゃんと同じ厄介者なのだ。

暇をもてあそび毎日何もせずに過ごすよりはよっぽどいいだろう。

実は多度大社と上げ馬神事のことを調べた際に
非常に馬と関わりがあることに気付いたので、
直感で婆ちゃんにも関係があるような気がしていたのだ。

そうでもなければ爺ちゃんがあんなに頑なになるはずがない。



多度大社の上げ馬神事は、三重県の無形民族文化財に指定されており、
約七百年前から続く歴史ある祭りだ。

武者姿の騎手が馬に乗り、高さが三メートルはあろう崖を一気に駆け上がるという。

迫力と緊張感のある、まさに人馬一体の祭りで、
坂を乗り越えた回数でその年の農耕時期や豊凶が占われる。

毎年四月一日に行われる神占式で選ばれた十代の少年たちが騎手となり、
約一ヶ月間に及ぶ過酷な乗馬訓練を受け神事に臨む。

近年過疎化が続いており地区の少年が少なくなっているので、
毎年騎手の選出が難しく参加できない地区も出てきているらしい。

また、上げ馬神事は非常に危険を伴う祭りでもあり、
動物保護団体から批判が起こっているのも事実だ。

坂を乗り越えることができず、馬が足や首の骨を折り死んでしまうこともある。

以前は生卵や薬物などで馬を興奮させてから祭りに挑ませたが、
今はそんなこと絶対に許されない。

神事に使われている馬の多くは引退した競走馬だ。

所詮は速く走るために調教させられた馬。
年々坂を越えられる馬の数が減ってきているらしい。

とは言え、重い甲冑を身に付けた騎手を背に
高さ三メートルもある崖を駆け上がるのは容易なことではない。

引退した馬にとっても過酷な祭りなのである。


見てみたい。この祭りを見たい。
生でサラブレッドを見てみたい。

そう、生まれてこの方サラブレッドを生で見たことがないのだ。

調べれば調べるほど思いは強くなる一方だった。


しかし問題は爺ちゃんだ。
ここんとこの寒暖差の激しい気候についてこれず
肺炎まで患ってしまっていた。

両親に多度行きを相談したとしても
猛反対されるに決まっている。


私は密かに計画を練り決行することにした。

爺ちゃんを病院に連れて行くと偽り、
遠く桑名まで車を走らせたのだ。

爺ちゃんは黙ってついて来た。

後部座席で毛布に包まり
酒を飲みながら遠く一点だけを見つめている。

ありがとうの一言ぐらいあってもいいだろうに。


三重県に近づいた頃、爺ちゃんが咳き込み始めた。
とまりそうもなく呼吸が辛そうだ。

それで急遽、桑名市内の病院に入ったのである。



多度大社で上げ馬神事が行われる当日の朝、

静かに眠る爺ちゃんを横目で見ながら
自宅へ戻る準備をしていた。

気が重い。

爺ちゃんの希望は叶えられず、
かあちゃんには電話で激怒され、終いには勘当だと言われてしまった。


起きているのか寝ているのかすらわからない爺ちゃんを
車椅子に乗せ病院を後にする。


その時、爺ちゃんが何かを呟いた。

チェリーチ…

そう聞こえたが何のことか私にはさっぱりわからない。
意識が朦朧としている爺ちゃんの戯言だな、きっと。


病院の出口を出るや否や
目の前に突然、なぜか自分の車が猛スピードで止まった。

とうちゃんだ。

 「早く乗れ!間に合わん。チェリーチが坂を駆け上がってしまうぞ。」

 「チェ、チェリーチ?とうちゃんまでチェリーチって…」

 「婆ちゃんの馬だ!」


身体中に電流が走った。

チェリーチとは婆ちゃんの馬なのか。

引退した競走馬でしかも今日これから多度大社の上げ馬神事で
百キロ近い騎手を背に坂を駆け上がるというのか。


とうちゃんの話では爺ちゃんが入退院を繰り返していたある日、
マットレスの隙間からいつもの酒瓶ではなく
古ぼけた小さな手帳を取り出して読めと差し出されたらしい。


とうちゃんは話しながら車のグローブボックスに手を伸ばすと
その手帳を取り出し今度は私に読めと促す。

それは乱雑な字で読みにくく、
しかも小さな字で所狭しと書き込んである婆ちゃんの手記だった。


婆ちゃんは北海道を旅行中、
牧場で一頭のとねっこと出会い溺愛したようだ。

牧場に住み込みで働きながら
そのとねっこと日々を楽しく過ごしていた。

しかしいつかは売られてしまう。

それを恐れた婆ちゃんは
牧場や馬主、競馬関係者など多くの人に手当たり次第相談を持ちかけた。

手帳に記されたおびただしい数の連絡先がそれを物語っている。

最終的に共同出資馬として我が仔にしたようだが、
そうだとしてもその仔は良血馬なので普通なら手が出せるはずもない金額だ。

あの数千万円の借金はこのためだったのだ。

そしてチェリーチという名前は
婆ちゃんが付けたらしい。

チェリーチの成長と共に
婆ちゃんは牧場を転々とし見守り続けた。


無事に小倉競馬場でデビューを迎えるも掲示板に届かず七着。
その後も中京競馬場、新潟競馬場などレースを重ねるが成績はイマイチ。

それでも婆ちゃんはチェリーチを追っかけ傍らで見守った。

無事にゲートを出て欲しい。
無事にレースを終えて帰って来て欲しい。

それだけでよかったのだ。


チェリーチはパドック周回中に婆ちゃんを見つけると
目を合わせながら耳をクルっと嬉しそうに動かすらしい。

馬の仕草や賢さ、馬体の美しさなども事細かに手帳に記されている。

婆ちゃんはギャンブルとしての競馬ではなく
競馬のサラブレッドに魅力を感じ心を奪われたのだ。

手帳は三分の一を残して終わっており、あとは白紙だ。

最後のページには走り書きで
共同馬主の一人から連絡が入ったと記されている。

そしてチェリーチ→高知の文字。


とうちゃんの調べでは、チェリーチは中央競馬で活躍できなかったので
地方競馬の高知へ送られることになったらしい。

それを知った婆ちゃんは共同馬主たちと話をするため、
周りが止めたにも関わらずアイスバーン状の雪道を猛スピードで走行し
事故に遭ってしまったのだ。

婆ちゃんが可愛がったチェリーチの存在を
爺ちゃんは手記を読んで知っていた。

そしてチェリーチのその後をしっかりと追っていたのだ。


婆ちゃん亡き後は爺ちゃんがチェリーチを遠くからではあるが見守り続け、
競走馬として引退後は多度の牧場にいることまで把握していたのだ。

そしてなんと今年チェリーチは神事馬として選ばれた。
年齢からしても最後の上げ馬神事である。

爺ちゃんはその有終の美を目に焼き付けておきたくなったのに違いない。



多度に到着すると祭りはすでに始まっていた。


町内にある無線からは上げ馬神事の実況が流されている。

先ほどのはどうやら勢いよく坂を駆け上がったが
途中で騎手を振り落とし馬が逆走しているようだ。

興奮状態の馬は観覧席にも突っ込み暴れ回っている様子。

危険なので空馬から離れろと
なんども無線で呼びかけている。

相当危険な祭りであることが
無線の実況からだけでも手に取るように分かる。

チェリーチの出走は一体いつなんだろう。
まさか今の空馬ではないだろうな。

車椅子の爺ちゃんがこんな祭り会場に近づいて大丈夫なんだろうか。

とうちゃんがどこからかフリーペーパーをもらって来た。
祭りの由来やタイムスケジュール、騎手の案内、出走表などが記載されている。

それを見て私ととうちゃんはハッとした。
出走表にチェリーチの名前がない。

どういうことだ。

その時、無線から次に出走する騎手と馬の紹介が流れてきた。

『千理』

という馬の名前を聞いて爺ちゃんが反応した。

今にも車椅子から立ち上がり
走り出しそうなくらい前のめりになっている。


私ととうちゃんは慌てて車椅子の爺ちゃんを
半ば抱えるようにして会場の多度大社まで走った。

会場に着くと高さ三メートルの崖がちょうど見える位置が空いていたので
規制線ギリギリで見学することにした。


私は崖を目の当たりにして驚いた。
普通に人間が上るだけでも大変そうな急勾配だ。

それを重さ百キロ程ある騎手を背に馬が駆け上がれるのか。
しかも駆け上がった最後に一枚岩を飛び越えなければならないではないか。

上げ馬神事は想像以上にハードな祭りだったのだ。 


 「今騎手が馬に跨りました。三番手走り出しました。」


ついにチェリーチであろう『千理』という馬が崖に挑む時が来た。

豪華絢爛な武士姿をした騎手を背に
馬具を付けていても分かるほど艶やかな栗毛色の馬体が
私たちの目の前を勢いよく通過した。

観覧席の掛け声とともに人馬一体となり崖へ突進していく。


坂を駆け上がり最後の壁を越えようとした瞬間、
馬体が壁に激突し騎手を振り落とした。

そして再び地面に強く叩きつけられ
馬は真っ逆さまに坂を転げ落ちた。

騎手は起き上がったが馬はビクともしない。
倒れたままだ。

 「千恵〜!」

爺ちゃんはなんと婆ちゃんの名を叫んだ。

普段は車椅子がなければ歩くこともままならない、
昨日まで生死を彷徨っていたあの爺ちゃんが、
一目散に馬に駆け寄って行ったのである。

規制線には目もくれず、祭り実行委員の静止をも振り切って。


馬に寄り添い爺ちゃんは涙を流しながら何かを語りかけている。
優しく撫でながらまるで婆ちゃんと会話しているかのように。

馬はじっと爺ちゃんを見つめている。
その瞳の奥で何かを思い出そうとしているのかもしれない。


しばらくすると馬の耳がクルッと動いた。
そして少しずつではあるが馬体を動かし始めたのだ。

首を持ち上げ爺ちゃんに頬を嬉しそうに擦り付けると
一気に立ち上がった。

観覧席から拍手が沸き起こった。


自力では立ち上がることができない爺ちゃんを助けに私が近寄ると、
馬はじっと見つめながら嬉しそうに耳をクルっと回し出した。

こんな近くで馬を見るのは初めてだが怖くはなく、
なんだか久しぶりに会っている感じさえした。

私が優しく撫でてやると、とても嬉しそうだ。

歩様もしっかりとしているのでこれなら大丈夫だ。


爺ちゃんを車椅子に戻して帰ろうとした時、
長老っぽい祭り実行委員が話しかけてきた。

この人はチェリーチを共同出資馬として
婆ちゃんに協力してくれた人のうちの一人だった。

やはりこの馬『千理』はチェリーチで婆ちゃんの馬だったのだ。
多度に来てから名前を変えたらしい。

牧場では相当ヤンチャで飼育も大変らしく、
きっと婆ちゃんに会えなくなった寂しさを厩舎や柵で紛らわしているのだろうと。

私にはどことなく婆ちゃんの面影があるらしいので
この人もすぐに気が付いたらしい。

だから『千理』も気が付いたんだろうと。

 「千恵よかったな。これで安心だな。お前の仔は元気だぞ。後よろしく頼んます…」 
              
これが爺ちゃんの最後の言葉だった。


車に戻ると疲れが出たのか、この世に思い残すことはなくなったのか、
後部座席で爺ちゃんは深い眠りについた。



昏睡状態が続いて二日後、
爺ちゃんも婆ちゃんが待つ処へと旅立った。

とても幸せそうな顔をして。



 「チェリーチ、今日からよろしくな。」

じっと私を見つめてから、嬉しそうにクルッと耳を動かした。

私はこの件をきっかけに
多度の牧場で働くことにした。

チェリーチのそばに居るとなんだか
千恵婆ちゃんと理一爺ちゃんとも一緒にいるみたいだからだ。

牧場でヤンチャをしていたチェリーチも
私が来たことで今はおとなしく余生を幸せに過ごしている。


人手不足や経営難で牧場も色々と大変だが、
今後もできる限り引退した競走馬を受け入れていきたい。

その一方で上げ馬神事の馬としても調教をして
伝統文化も守り続けていきたい。

せっかく婆ちゃんとチェリーチが築いた絆を
私が今度は引き継いで、未来へとしっかり繋いでいくつもりだ。

まずはここ多度で良い人を見つけて
神事の騎手が絶えないようにもしなくてはならない。

おかげで夢は膨らむ一方だ。

ありがとう爺ちゃん、婆ちゃん、そしてチェリーチ。

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